1.B.J. THOMAS 「More Greatest Hits」
2.ミック・ファレン 「トゥ・ザ・マスターロック」
3.フリー・デザイン 「KITES ARE FUN」
4.RISING SONS 「Rising Sons Featuring Taj Mahal And Ry Cooder」
5.ニューヨーク・ドールズ 「フーチー・クーチー・ドールズ」
6.ピーター・ハミル 「pH7」
7.PETER HAMMILL 「And Close As This」
8.P.F.M. 「甦る世界」
9.ラズベリーズ 「ラズベリーズ・ベスト/フィーチャリング・エリック・カルメン」
10.PETER FRAMPTON 「Frampton Comes Alive!」
11.ROD STEWART 「Never A Dull Moment」
12.ザ・ビートルズ 「4人はアイドル」
13.ビーチ・ボーイズ 「サンフラワー」
14.ヴァン・モリソン 「ウェイヴレンクス」
15.DWEEZIL ZAPPA 「Confessions」
16.JOHN CALE 「Close Watch: An Introducing To John Cale」
17.アート・リンゼイ/アンビシャス・ラバーズ 「エンビィ」
18.MOJO NIXON & SKID ROPER 「Root Hog Or Die」
19.SONIC YOUTH + I.C.P. + THE EX 「In The Fishtank」
20.SONIC YOUTH 「Rather Ripped」
本日はロック・コーナー関連の
新着&再入荷分を計20枚、
新着コーナーにアップしました。
また今週も土曜日と月曜日、
全ての発送をお休みさせて頂きます。
毎週ご不便をおかけして申し訳ございませんが、
ご了承下さいませ。
美味しいものは先に食べるか?後に食べるか?
という定番の問い掛けがあるが、
これは断然後に食べる派なのだが、
音楽に関しても、
そうであったという出来事を本日ふと思い出してしまった。
音楽を聴いていて、
その音楽をリアルタイムに聴いていた頃の空気を突然、
思い出す事は良くあるが、
本日入荷のビートルズの『4人はアイドル』を再生確認していて、
リンゴ・スターの歌う「アクト・ナチュラリー」が流れ出した時に、
思わずこの曲を初めて聴いた小学6年生の頃を思い出してしまった。
当時はまだアナログ盤の時代だったが、
小遣いの少ない小学生が買うレコードといえば、
お年玉をゲットした月以外は大抵、
そうドーナツ盤といっていた、
シングル盤が中心であった。
それまでも既にレコードは何枚か買っていたのであるが、
それはミル・マスカラスの入場テーマだった、
ジグソーの「スカイ・ハイ」とか、
「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌とか、
キッスのシングル盤などであった。
小学生の時のお気に入りアーティストはキッスで、
キッス三昧だったのであるが、
確か卒業が迫った時期に、
何かクラスみんなで演奏をするとか何かで、
ビートルズの「イエスタデイ」を演奏する事となった。
当時は確か丁度ウィングスの「夢の旅人」もヒットしていて、
少しビートルズに興味が湧いてきていた頃で、
そんな縁もあってか、
確かレコード店のスタンプ・サービスが一杯になったので、
その引き換えにビートルズの「イエスタデイ」のシングル盤をゲットしたのであった。
で最初の話しに戻るのだが、
美味しいものは後で食べる派である自分は、
シングルを聴く時も、
いつも最初に聴くのはB面で、
メインディッシュのA面は後から聴くというパターンを心掛けていたようで、
初めて自分で購入したレコードは、
前述の「スカイ・ハイ」だったのだが、
記念すべき、初めて自分で購入したレコードで、
初めて聴いた曲はそのB面の、
黛敏郎作曲の「NTVスポーツ行進曲」であった。
そう、あのジャイアント馬場の入場曲で、
ビートルズの初めて聴いた曲も、
リンゴ・スターが歌うバック・オウエンスのカントリー・ソングのカヴァー、
「アクト・ナチュラリー」となってしまった訳である。
何気にその後のカントリーを好きになる布石は、
実はこの時にあったのではないか?
と今になって思う次第。
1.THE JOLLY BOYS 「Sunshine 'N' Water」
2.DESMOND DEKKER AND THE ACES 「Music Like Dirt」
3.BUNNY WAILER 「Liberation」
4.アスワド 「ニュー・チャプター・オブ・ダブ」
5.アスワド 「ディスタント・サンダー」
6.アスワド 「ルーツ・リバイバル'98」
7.THIRD WORLD 「Sense Of Purpose」
8.BURNING SPEAR 「Farover」
9.FREDDIE MCGREGOR 「Jamaican Classics Three」
10.GARNETT SILK 「Nothing Can Divide Us」
11.SINGING MELODY 「Sweeter」
12.ANTHONY B 「Street Knowledge」
13.CHUCKLEBERRY 「Cost Of Living」
14.ASHER D & DADDY FREDDY 「Ragamuffin Hip-Hop」
15.ニンジャマン 「復讐するは我にあり」
16.SIZZLA 「Waterhouse Redeption」
17.MAD PROFESSOR 「Afrocentric Dub」
18.V.A. 「ソニック・サウンズ・プレゼンツ〜ジャングル・ユニティー」
本日はレゲエ・コーナー関連の
新着&再入荷分を計18枚、
新着コーナーにアップしました。
また今週も土曜日と月曜日、
全ての発送をお休みさせて頂きます。
毎週ご不便をおかけして申し訳ございませんが、
ご了承下さいませ。
父は49歳という若さで亡くなったが、
何とも豪快でパワフルな男だった。
営業職のサラリーマンといっても、
一般的なサラリーマンのイメージとは程遠く、
もしくは高度経済成長期のサラリーマンとは皆があんなだったのか、
親分肌で男気に溢れ、
酒を浴びる程飲み、
圧倒的な威圧感のみならず、
実際、反抗期の中学生時分には、
何度も殴られ蹴られ、
まぁ、こちらの口答えが生意気だったのは間違いないが、
結構理不尽な鉄拳制裁等もあった気もするが、
今となっては良い思い出。
というか、自分くらいの世代の男でも親に殴られた事の無いのが多かったくらいなので、
結構、暴力親父の恐怖話として、
友人に披露するのに当時からだいぶネタにさせてもらっていた。
そんな父は、
人付き合いも達者で、
仲良くなると家族ぐるみの付き合いをするタイプで、
お客さんの来訪はしょっちゅうで、
小さい頃等は、
何でウチはこんなに親戚がいるんだろ?
と疑問に思ったくらいで、
後で知ると全然親戚でもない、
ましてや父の会社関連の人でもない人達等も多く、
出入りしていた。
特にそのような付き合いが多かったのは、
小学4年までの約8年程、
仙台に住んでいた時代で、
そんな親戚かと思っていた家族の中に、
自分達兄弟より少し年嵩の兄弟が居た。
福島の親戚だと当初は思っていたのだが、
実は父の仕事の関係の知り合いで、
当地でレコード、電気店を営む一家だった。
さすがにあまり記憶はないのだが、
彼等家族が遊びに来た時に、
一緒に映画を見に行った事、
そして何より彼等兄弟はプロレスが好きで、
「月刊ゴング」という雑誌を持ってきた事が記憶に残っている。
後に自分がプロレスにハマったのは、
この時の「月刊ゴング」が切欠の一つだと思っているが、
記憶にあるのはそのくらい。
一度、福島に行った時に、
お店にも寄ったような覚えもあるが定かでなく、
何故かその旅行では初めて飲んだオロナミンCの記憶しか、
はっきりは残っていないという卑しさ。
この家族とは、
恐らく父の死後も、
母が年賀状のやり取り等をしていたのであろう。
自分がリアル店舗をやっていた頃、
母が「父が生きていたらお店の事、色々訊いてもらえたのにねぇ。」
とこの一家の事を持ち出して話していた事が度々あったが、
名前は時折聞いてはいたが、
自分などは小学生の低学年以来会ってもいないので、
こちらから今更そんな相談なんて、
という思いで、この話しはそこまで。
その後、母の認知症が判る、
恐らくかなり以前から、
母は字が書けなくなり、
年賀状も出せなくなっていて、
自分もメールという手段を手に入れてからというもの、
生来の無精者の芽が発芽してしまい、
すっかり年賀状を出さなくなったという事もあり、
母が年賀状の返事も書けなくなっていたのに気付いたのは、
恐らくかなり後になってからで、
何度か年賀状を変わりに出してくれと頼まれた記憶もあったものの、
状況がそこまで悪くなっているとは思えず(今思うと逃げていたのかもしれない)、
すっかり音沙汰の無くなった父の知り合い関係も多くなっていった。
2011年3月には東日本大震災があり、
仙台の学友達とはすっかり疎遠であったが、
心の片隅で無事を祈った。
更に福島の原発の事故が続き、
福島のレコード店の家族の事も心の片隅で気にはなっていた。
さて、かなり端折って40年の軌跡を振り返ってお送りしてきた訳だが、
一体何の話しをしておるのか?
と思われている方も多いと思うが、
何処に着地するか判らない文章の即興プレイは良くやる事だが、
今回はちゃんと着地点があるのでご安心を。
実は一昨日のツイッターで、
「買え!
俺に買わされる前に・・・
ソウルフラワーユニオン『踊れ!踊らされる前に』
ただいまモリタミュージックで爆音店頭演奏中!!!」
という
ツイートが流れてきた。
普段はリツイートされたツイートの発信者のプロフィールを見るという事は、
それほど無いのだけど、
心の片隅に残っていた記憶がそうさせたのか、
何とはなしにクリックしてプロフィールを見てみると、
「モリタミュージック(@moritamusic)
福島県相馬市という2011.3.11から突如有名になった街に住んどります。
おまけに、不況業種のCD屋を営んでおります。
しかし何故か楽しい人生を送っとります。」
と書いている。
まさか、あの「月刊ゴング」をウチに持ってきた、
悪ガキ兄弟(失礼)のお店?!
横で寝転がっている母に訊こうにも、
絶賛認知症発症中、要介護5!
増してや自分の夫である父の記憶すら一切残っていない母に訊いたところで、
どうにもならないが、
一応念のため訊いてみる。
「福島のモリタさんって覚えてる?」
「覚えてる!!」
と元気な返事も、これはお得意の鸚鵡返しパターン。
「福島のモリタさんて知らない?」
「知らない!!」
ウン、矢張り当てにした俺が馬鹿だった。
これがメアドとか住所とか電話番号だと躊躇したかもしれないが、
そこはフランクなツイッターの良いところ。
まさかとは思うが
「大変ご無沙汰しております。
彼此40年近くも前になりますが、
仙台在住時には父共々、家族でお世話になりました。」と@を飛ばしてみる。
すると先方から、
リプライが届き、
まさかまさかの何と40年近くも前、
父絡みで家族で付き合いのあったあの兄弟(お兄さんの方)である事を確認。
その後はメールして、
昨日は電話まで頂戴し、
実に40年近くぶりの会話。
20年くらい前には、
我が家にも訪れてくれたそうで、
母を連れて父の墓参りにも行ってくれたとの事。
また店は津波で流されたそうだが、
弟さん、お母様共々無事で、
お店も再開してバリバリやられていると
(詳しくは
モリタミュージック・ブログを参照)の事。
これからも連絡取り合いましょうという事で、
電話を切った訳だが、
いやぁ、最近はネトウヨやら、
小賢しい客観主義を装った傍観者とかがのさばるツイッターに、
結構幻滅を感じる事の方が多かったのだけど、
まさかまさかの40年越しの再開を手助けしてくれるなんて、
ツイッターもまだまだ捨てたもんじゃない。
というか真っ当に使えば、
非常に優れたツールである事を再確認したところで、
奇しくもモリタさんが電話をくれた昨日、
7月2日が父の命日、
33回忌であったのも、
霊的な事象や運命的な事をそれほど信じない自分ですら、
「親父!凄いよ!!」
と仏壇に手を合わせる時間が、
いつもより長くなった昨日の夜。